積読バベルのふもとから

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日々積み上がる積読本に挑むラノベ読者の雑記

【ネタバレ感想】『劇場版まどマギ』2回目を見てきての感想と『紫色のクオリア』について

※前回の記事に引き続き
劇場版まどマギ感想になります。
ネタバレMAXですのでご注意を。
『紫色のクオリア』にも引き続き触れていくのでそれも注意で


ということで劇場版まどマギ、2回目を見てきました−
劇場特典はまたもやまどか

円環の理ってはっきりわかんだね

2回目を見て色々と見え方が変わったなぁ……
というのが率直な感想です。
とにかく1回目は、序盤から設定が変化した世界で
いるはずのないキャラが普通にいるという違和感のせいで
戸惑いが大きかったこと。

また、終盤では畳み掛けるような
真実の言及と、ほむらが行った世界改変など
怒涛の展開が続き、流れに追い付くだけでも精一杯でした。

だけど、2回目はとても落ち着いて話の流れを追うことができた!
全く見えてくるもが違うというのは
映画としてはどうなのかな?と思いつつも
1回目のモヤモヤがかなりスッキリしているので見てよかったです。

特に、序盤の魔法少女5人が仲良く頑張っている姿は泣けました。
ほむらだってこういう世界を望んでいるんだよなぁ……
なんでああなっちゃうのかなぁ……

ということで
色々と自分の中の消化も兼ねて、感想を書いていこうかと思います。


●ほむらの最後の行動の是非について

物語終盤で魔女化したほむらの愛が
まどかを円環の理というシステムから切り離したわけですが……
1回目を見た時は、全体的な画面上の黒さや
終わりの鬱々とした雰囲気からモヤッとしたままでした。
だけど、2回目できちんと物語を追うことで、ほむらの行動の是非についても
ある程度落ち着いて考えられるようになりました。

では、彼女の行動は正しかったのかどうか。

感情的に正しかったが、選択は誤っていた
しかし、選択の贖罪は果たしている

というのが、今のところの自分の結論です。
ほむらは『まどかの心意』を聞くことで
彼女が円環の理になることをどんな手を使っても止めるべきだったと悟ります。
その結果として、まどかを円環の理から引き剥がし
人間としての部分を残し、世界を再構築してしまいました。

この行動は、間違いなく否定されるべきことでしょう。
劇中でまどかが言った『ルールは破るべきではない』ということです。
世界を強引に都合のいい形に変えることを是とは言いがたい。
つまりは、まどかもルールを破ったわけで
まどかの行動も否定されてしかるべきなのですがそれは一時置いておきます。

でも、ほむらがそうした行動をとったことを、
感情的な部分を否定することは難しいです。
エゴイズム的な部分があるものの
行動理由は『大切な友達を孤独から救い出す』という
間違った想いではないからです。

また、再々構築後の世界で
彼女はヒールとしての役割を自ら担い
『魔なる者』『悪魔』と自称して、いつかまどかと対立することを示唆します。

……が、冷静に考えると
ほむらが作り上げた世界は、決して『悪』の世界ではありません。
本来、非業の死を遂げるはずだった魔法少女達が生きたまま
まどかも不完全ながらも人間として生きていくことができる。
また、円環の理もシステムとして機能している。

言うなれば、まどかが作りあげた世界をアップデートしただけです。
むしろ、世界はより良い世界になったと言っても間違いじゃない。
それでも、ほむらは自らを悪として祭り上げ
孤独の道を進んでいこうとしてしまいます。

これは、ほむらの贖罪なのだと思いました。

まどかが言った『ルールは破られるべきではない』ということを
ほむらは破っているわけです。
また、まどかの決死の願いも冒涜している状態です。
彼女は、そのことに対する罪悪感と自らの歪みを真正面から受け止めて
その贖罪として『悪魔』という立場を貫いているのではないかと感じました。

そもそも、この物語はもっと後味よくできるんですよね。
演出と物語の後味を変えるだけで、ガラッと雰囲気の変わった
とてもスッキリした話にできるはずです。

例えば
『愛』という部分をあんな暗黒的な欲望の延長線上のような描きかたではなく
もっと清純な願いのように描写するとか、

ほむらを悪魔姿にせず(病みすぎィ!

アルティメットまどか的な容姿にするだけでもいい
まどかと分かり合うような会話シーンを入れることもできた。

また、ほむら自身の記憶を消して
何もかもがまっさらな状態の、いうなれば物語序盤のような世界を作り上げてもよかったんです。
でも、そうしなかったのは
ほむらの、製作側の『ルールを破った』ことに対する真摯さなんじゃないかなと思います。(物語を続けるためっていう見方もできますが)

ということで
ほむらの選択は誤りつつも正しく、贖罪は果たしていると思いました。
それが本当に彼女にとっていいか、悪いかは別として。
個人的には、ほむらは救われて欲しいと切に願っています。



●彼女達が救われるには『紫色のクオリア』を読むしか無い
口が開けばそれしか言わねぇな!状態ですが
本当にそう思っているんだから仕方ない!!

紫色のクオリア (電撃文庫)

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紫色のクオリア (3) (電撃コミックス)

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とりあえず、紫色のクオリアってなんじゃらほい
って人はすぐさま小説か漫画を読んでください。
絶対にそんはさせません、俺の命をかけて保証します。絶対に!!
できれば、漫画版最終巻の短編を読んでください!!


ということで、以下から紫色のクオリアのネタバレMAXです。
さらに漫画版最終巻の短編のネタバレが多数ありますのでご注意を。

もうね、ほむらに紫色のクオリアを読ませてあげたい!
ここ最近、ずっとそのことを考えています。
少なくとも、ほむらが救われる一つの手段が記されていると思うんですよね。
なんかもう、シンクロニシティが凄くて、改めて奇跡的なタイミングだったなぁと思いました。

特に、紫色のクオリア短編『箱の中の手紙』が物凄いピンポイントなんですよ……
この短編は、ゆかりという少女……
まどマギで言うところのまどか的な立場から、親友の学という少女へ向けた
所謂『遺書』に近い手紙なのですが……

これがもう壮絶なラブレターなんですよ。

ゆかりは本編で、他人に(たとえ友人でも)自分の運命を無理やり変えられることを……
つまりは、ひとりよがりに他人を救うことを否定します。
運命は自分が切り開いていくものだと言います。
しかし、それは『相手を思いやっての否定』なんですよね。
さらに、今回の短編によって、その思いがさらに強化されました。

ゆかりは『人間がロボットに見える瞳』は
学が与えてくれたものなのだと考えている、と手紙に記します。
彼女は紫色の瞳は、トライ&エラーの結果、存在が無くなった学を見つけるためのもので
それこそが『神様になった学から与えられたの特別な愛』なのだと信じているのです。

凄まじいですね。
勿論、なんの根拠もない話なのですが……
なぜか胸にストンと落ちてくる話なのです。

そして、紫色のクオリアを読んでこうも思うのです
ほむらも、まどかの愛をしっかりと受けっとているのに、と。
まどかも、ほむらの愛を受け取っているのに、と

TV版の再構築後の世界で、まどかの記憶をきちんと持っているのは、ほむらだけなんですよね。
これが愛以外のなんだっていうんですか。
ほむらは孤独じゃなくて、まどかの愛をしっかり感じるべきだったんですよ!

それに劇場版ラストで、ほむらはまどかの記憶を消すべきではなかったんですよ。まどかが、ほむらの行動の心意を知らなきゃダメでしょう!!
そこからでしょう、本当に物語の決着が付くのは。

ということで、まどマギの続編を切に願います。
まどマギはまだ本当の結論に行き着いていない!!
TV版も劇場版も、お互いの愛が一方通行で終わってしまっている。
たとえ敵同士でも、真正面からぶつかりあう展開を心から待っています!!

とりあえず、3回目も見よう!!(続編期待の興行収入的な意味で


あと『紫色のクオリア』も劇場アニメ化しよう!!(何度目)
お布施はしっかりしているんだから頼むよぉ!!

おわり