積読バベルのふもとから

日々積み上がる積読本に挑むラノベ読者の雑記

【ネタバレ感想】『劇場版まどマギ』と『紫色のクオリア』が同日公開(発売)した奇跡

※本記事には
・劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語
・紫色のクオリア

の重大なネタバレが多数あります。
容赦ないのでご注意ください!!

まどマギだけしか見てないって人は
今すぐ紫色のクオリア(ラノベでも漫画でも可)を読んでください。
色々と考えられる部分がありますよぉ!

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劇場版まどマギ、さっそく見てきましたー!

新作エピソードということで、期待値高かったんですが
なんかもうすごいね!!
クレイジーサイコレズって感想をよく見るけど、的確!!
ほむほむの愛が凄いことになってしまっていて、いやぁなんとも凄い。

一回見ただけだとなかなか理解するのが難しい
さらに、色々とスッキリしない部分もあり、今も頭のなかグルグルしてしまっています。
いやはや、やられたというか……
見せ方をもっと変えれば、そうとう綺麗な話にできそうなのに
こういう終わり方にするっていうのが虚淵ですなぁ


テレビ版、総集編の劇場版2つからの完全新作エピソードということで
まどかが円環の理というシステムになり
魔法少女が魔女にならない世界が再構築されたわけですが

それを全てぶち消すような選択をした、ほむらの愛の恐ろしさったらなかった……
まどかが迎えにきて、ああハッピー?エンドで終わりかなぁと思った直後の
「こいつを待ってたぜぇ!」に( ゚д゚)ポカーン

そこからはもう怒涛の展開
ほむらちゃんどこへ向かっているの?
え?悪魔? 日常シーン? ほむらちゃん悪い顔、っていうか目の下の隈!
うわぁこれは完全に病んでる。
え?え? 終わり? マジかよ……

という感じでした、はい
間違いなく賛否両論でしょう。
上映終了後の劇場内の空気はなかなか凄いことになってました。
明らかに戸惑いの空気で一杯という感じでしょうか。
「わけがわからないよ!」とは良く言ったものです。


ただ、僕の頭の中では
戸惑いとか置いておいて
グルグルと一つのことが回り続けていました。

それは
『魔法少女まどか☆マギカ』と『紫色のクオリア』
この二つの作品が紡いだ物語のあり方についてでした。

前置きが長くなりました。
10月26日、それは『まどマギ』公開日であると同時に
漫画版『紫色のクオリア』の最終巻の発売日でもあったのです!!

紫色のクオリア (3) (電撃コミックス)

紫色のクオリア (3) (電撃コミックス)

知る人ぞ知るライトノベル『紫色のクオリア』。
人間がロボットに見える少女と、その友達の出逢いから始まる
壮大なSFライトノベルです、傑作です。


『まどマギ』と『紫色のクオリア』
この二つは、TV版まどマギが放送していた頃から
その類似性が指摘されていました。
っていうか、まどマギ10話を見た時「これ紫色のクオリアだー!!」って思いました。

両者に共通するのは
『物語の中心人物が2人の少女』
『友達を死から救うためにループを繰り返す』
『上位存在となって、世界の理から外れる』

といったところでしょうか。
両者を知っている人間は、絶対に共通する部分を気にかけると思います。
そして、2つの物語が紡いだ結末について
比較せずにはいられないはずです。僕はそうでした。
まだ消化しきれていない部分もありますが
2つの作品が示した結末について考えていきたいと思います。


●ほむらと学の導き出した結末について

・紫色のクオリアにおいて

学はゆかりを救うための過酷なトライ&エラーを続けます。
『万物の理論』を用いて、人類を超越し百数十億年もの時間を費やし、
ゆかりを救うために自分すら消し去った学。

しかし、その行動はゆかりによって否定され
「自分の運命を変えられるのは自分だけ」
「自分に出来るのは友達を支えることだけ」
という結論に行き着きました。

自分と他人は分かり合うことはできない。
永遠の平行線、しかし、だからこそ手を差し伸べ合うことにこそ意味がある。
その先に、不幸が待ち構えていようとも、覚悟を決めて進むことを決意します。
もしかしたら、ゆかりは死の運命から逃れられないかもしれない。
それでも、2人の少女は穏やかな日常を生きていく、という形で物語は終わります。


・叛逆の物語において

円環の理となって、世界のシステムとなったまどか。
ほむらは彼女を取り戻すために、彼女の力の一部を奪いとり
自らの力とすることで、まどかをシステムから切り離すことに成功します。

本来であれば死んでいたはずの
他の魔法少女たちも生きている世界を再構築し
まどかも不安定ながら日常に復帰することができました。

しかし、ほむらは上位存在(悪魔)となり
システムに回帰しようとするまどかを必死に妨害する道を選びとります。
自分一人だけが真実を知る、という過酷な道を選んで物語は終わります。


2つの物語には共通して救う側の『エゴイズム』が存在していると思います。
大切な人を守りたい、取り戻したいという強烈な思いは
ほむらが言うように、もはや『愛』の領域にまで到達しているでしょう。

しかし、両者の結末は全くの逆となりました。
紫色のクオリアでは、学はゆかりの意思を尊重する道を選びました。
まどマギでは、ほむらはどんな手段を用いても『まどかを救う』意思を貫き通しました。

このどちらが正しいか、もう頭の中ぐちゃぐちゃでわからなくなっています。
TV版まどマギの時点であれば、紫色のクオリアの結末のほうが美しい
よりテーマ的に優れている!!なんてことも思っていましたが

ほむらの『愛』を貫く姿勢が
あまりにも必死で、切実で、自分を顧みないものだから……
見ていて悲しくなってしまいました。
彼女はまどかの命を賭した決意すらも否定して
まどかを救うためだけに、全てを投げ打って進み続けます。

これは形骸だけを捉えれば
紫色のクオリアで学が上位存在になるのと同じ展開ではあるのですが
ラストに持ってくるだけで、これだけ印象が違うものかと驚きです。
『紫色のクオリア』至高主義者の僕の信念が
ほむらの圧倒的『愛』によって揺り動かされてしまいました。

・人は絶対に分かり合うことができない
だからこそ手を差し伸べ合う。
それこそが尊いものだという結末。

・たとえ分かり合えなくても
大切な人を救うために、その大切な人の決断すら無為にする覚悟。
自己犠牲という過酷な道を進み続ける結末。


どちらが正しいということはないでしょう。
読み手の好みに委ねられる問題だと思います。

ただ、今日この日に
『魔法少女まどか☆マギカ』と『紫色のクオリア』
この2つの作品を見ることのできた奇跡に感謝を。

2つを見ることで、双方に対する思いもより深まっていくのではないでしょうか?

特に紫色のクオリア最終巻にある新作短編
『箱の中の手紙』は色々と考えさせられます。
というか泣けます、泣きました。
ほむらも、ゆかりのように思うことができれば良かったのになぁ……

そして、紫色のクオリアも劇場版アニメ化しないかなぁ……

おわり