積読バベルのふもとから

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日々積み上がる積読本に挑むラノベ読者の雑記

第二回、傑作ラノベシリーズ『紫色のクオリア』

これは絶対に読んでおいて損はないから!
絶対に損なしよ! 
ね、一回だけ! 
大丈夫だから! ね! ね!

と怪しい勧誘のごとくオススメのラノベを紹介する
傑作ラノベシリーズの第二回になります
傑作ラノベシリーズは
前半は未読者向けの勧誘記事
後半は即読者向けのネタバレ満載記事になっています
比重としては即読者向けの内容が多いので
ぜひ、これを機に読んでみて
俺と

「それいいよね……」
「イイ……」

となりませう!



それでは早速、第二回の傑作ラノベはこれ!
『紫色のクオリア』

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

未読者向けの簡単に内容を説明すると
人間が『ロボット』に見えてしまう少女――毬井ゆかり
そんな不思議少女の親友であり
とある事件により一つの特殊能力を得る少女――波濤学
この二人が織り成す、超スケールSFライトノベルである!!

すまん!
正直、ネタバレなしで内容紹介するの難しかった!
ちなみに、一巻完結のライトノベルなので手に取りやすと思う


まず、この『紫色のクオリア』という物語の魅力を説明したい
それはひとえに
『転調し転調し転調し続け、収束する物語』だ!
正直言って、これほどまでに怒涛の展開で読者を魅了させるラノベを俺は知らない!!

ただ、その性質故にネタバレなしでは多くを語れない!
全三編で構成される物語であり
一章である『毬井についてのエトセトラ』にて
人間がロボットに見えてしまう少女と、その親友の心温まるエピソードが繰り広げられるわけですよ

『クオリア』が示すとおり
人間の認識に関する物語が展開されるわけですが……
まあ、この後がね……凄いんですよ……
まさかそういう風に展開するのか!! うおおおおおおお!
うひょおおおお!! どこまで広がっていくのおおおお!!!
らめええええええええええ!!! って感じです(頭がヤバイ

もうね、読んで『合わなかった』ということはあると思いますが

読んで『無駄だった』になるとは絶対に思いません

それぐらい、オススメしたい
多くは語らないし、語れない
ただ、ジェットコースターに乗っているかのような怒涛の展開
上下左右に揺さぶられ、発散し、結合し
それでもなお拡散し続ける『一人の少女』の物語
その最後に訪れる嫋やかで穏やかな収束を感じて欲しい

クオリアで始まり、クオリアに終わる
そんな物語(意味不明


以下から、即読者向けのネタバレ内容になります








『魔法少女まどか☆マギカ』、『STEINS;GATE』が脚光を浴びた昨年
それに引きずられるように話題になった『紫色のクオリア』ですが……

テーマ性なら『紫色のクオリア』が一番、美しかった!!

と個人的に思うのです
エンターテイメント性に関しては、前者2つには及ばないとは思います
ただ、その物語の終着点はさいっこうに美しかった……

自分の中で紫色のクオリアが
傑作中の傑作として揺るぎないのは
怒涛の展開、平行世界へと拡散し続けるガクちゃんの物語ではなくて

毬井が最後に下した、一つの答え

『自分の運命を決めるのは、自分だけ』

があったからなんですよ
広がり続けていった全てが、この一点に収束していく……

平行世界を渡り、時には非道になり、血を流して
毬井を救うために尽力した学
それでも絶対に死を回避できない
この展開は、タイムリープモノにはよくある展開

そして、究極的に自分自身の存在を消し去って、上位の存在にまで昇華された
そこまでして、たった一人の友達の死を回避したかった……

そんな全てを否定する

『私の人生は、私が決める』

という、毬井の決断
タイムリープのすべてを否定し、そんなことはなんの解決にすらならない
と言い切った、紫色のクオリアは非常に恐ろしい作品です

この『救われる側の視点』を取り入れたことが
紫色のクオリアの良さだと感じた
多くのタイムリープ作品では、主人公の善意によって
ヒロインないし大切な人が救われていくわけだが
そこには救われる側の主体性が存在していない

しかし、『主人公のエゴ』は絶対に非難されない
なぜなら、救われる側というのは『死』という絶対の終わりに縛られているからだ
それ故に、主人公の選択は『最善』であり
非難されようがない

そこにずっと引っかかりがあった

死を回避することは、絶対の正義故に
問題視されないことがあるが
『救われる側は、本当に救われることを望んでいるのか?』

自分は、そういった違和感をずっと持っていたので
紫色のクオリアには感銘を受けた


『魔法少女まどか☆マギカ』でもこの『救われる側の視点』は取り入れられたわけだが
最終的には世界すべてを変革することで問題全てを消し去った

それに対して
紫色のクオリアでは、一切合切、何も問題が解決していない
全ての選択の責任を取るのは自分であり、自分自身が運命を切り開いていく
という決断だけで、最終章『if』へとつながっていく

そこにはある種の『不快感』が伴うかもしれない
「何も問題が解決していないじゃないか」
という違和感が拭えないかもしれない


だが、それこそが美しいと思った
なぜなら、この結論は『自らの人生の肯定』だからだ
責任を他人に背負わせるのではなく、自分自身が決めていくことこそが
運命を乗り越えるために必要である
他人(友人)には、手助けをしてもらうことしかできないのだと……

この結論は、厳しいながらも、本当に美しい
もしかしたら、『if』の後、毬井は無残にも死んでしまうかもしれない
その可能性は依然として存在している

全てが綺麗に解決していないかもしれない
それ故の『if』というタイトルなのだと思う

それでも、自分の人生を切り開いていくのは自分なのである
この終わり方だからこその
『紫色のクオリア』なのだと、強く言いたい!(誰だおまえは


長々と書きましたが
『紫色のクオリア』はマイベストライトノベルの1つですね
テーマ性が自分の考えに合致したからこそ、これほどまで好きなのかもしれません
様々なタイムリープモノの血脈を受け付いだからこそ
こういった物語が生まれたのでしょうね……


ああ、二時間のアニメ映画が見たい!!
どこか、頑張って作ってくれないかなぁ!

それと今月、漫画版が出るのですっげえ楽しみです!!!
漫画版が出れば、素材が沢山できるので
誰かMADを作ってくれー!!


おわり